
学歴に自身のある方もいれば、学歴にコンプレックスを抱えている方もいるでしょう。
大企業だけでなく中小企業でも採用条件は大卒が当たり前。
大卒であっても大学の序列に苦しんでいる方は大勢いるでしょう。
高卒、中卒の方であればなおさらです。
近年では学歴社会を見直す動きもあるようですが、実際に社会に浸透するには時間がかかると思われます。
今回はこの世の中においてなぜ学歴が必要になったのか、そして学歴をコンプレックスに感じる必要がまったくない8つの理由をご紹介致します。
目次
学歴の必要性とは?
現代社会において、そして人生において常に付きまとうのが学歴ではないでしょうか?
ここでは学歴がなぜ必要なのか、その理由を探っていきましょう。
日本全体の学力向上のため
学歴とは教育の結果です。
私たちが読み書きできるのは日本の教育のおかげです。
そしてその教育の結果として学歴が生まれます。
大卒者と中卒者では学力に差が出るのは当然のことです。
なぜなら学力とは学ばなければ得られないものだからです。
何も学ばずに賢いということは有り得ません。
教育の積み重ねが日本全体の学力向上に繋がることは間違いないと思います。(ここでいう教育の積み重ねとは小学校~大学、そして大学院という教育機関での積み重ねという意味です。)
しかし、普通の暮らしの中で学校で学んだことを活かす機会はほとんどないのが現状です。
学力過剰ともいえるでしょう。
ではなぜそんなにも日本という国にとって過剰なほどの学力が必要なのか理由を考えてみると、やはり先進国としてのプライドでしょうか。
先進国としての立場をキープするためには必要なことなのかもしれません。
実際に世界における日本の現在の立ち位置を考えると、教育を積み重ね学力を追い求めることが間違っているとは思えません。
日本の現状が豊かだからこそ、間違っていないという自負のもと学歴社会は成り立っているのです。
人間性を判断する材料として
私たちは人を見た目で判断するなと言われて育ちました。
では人のどこを見て判断しているのでしょうか?
その一つが学歴です。
大学を卒業している人を良い人間だと思ったことはありませんか?
人間性を度外視した学歴ではその人の人間性について正確な判断が下せないにも関わらず、学歴で人間性までも判断してしまうことが多々あります。
もちろん高学歴に見合う人間性や能力を持った方々も大勢おります。
あくまでその人の人間性を判断する一つの材料として学歴を使用することが望ましいように思えますが、付き合いの浅い人間に対してその人の人間性を判断する材料が少ないのもまた事実です。
そうした理由から人間性を判断するのに、学歴に頼ってしまっている印象を覚えます。
これは何も学歴に限ったことではありません。
例えばあるスポーツで金メダルを獲得した選手がいると思います。
スポーツで金メダルと言えば、日本の学歴でいうところの東京大学を首席で卒業したようなものでしょうか。(もっとすごいかもしれませんね)
日本の期待を一身に背負い、金メダルを獲得したことは大変素晴らしいことだと思います。
しかし私が違和感を覚えるのは、金メダルを獲得したことでその人の人間性そのものが肯定されてしまっていることです。
金メダルを獲得したことと、その人が良い人間なのかどうかは別のことだと考えるからです。
スポーツ界だけでなく芸能界でもその傾向が顕著です。
映画やドラマ、音楽などの分野で輝かしい功績を残される方はたくさんおります。
演技が上手くて人気のある俳優や良い音楽を創りだすミュージシャン。
しかし、その人たちがどんなに人気があって有名であろうとも、その人間性までもが肯定されることには疑問を感じてしまいます。
必ずしも学歴が高い人間=良い人間ではないのと同様に、良い音楽を創りだす人間=良い人間という図式は必ずしも成り立ちません。
本来学歴はその人の人間性を推し量る一つの指標に過ぎないのですが、現状としてその人の人間性を全て肯定(否定)してしまうようなパワーを持ったものになってしまっています。
企業の採用基準として
社員募集に学歴という採用基準が設けられているのは、主に二つの理由が考えられます。
・大企業ともなれば社員募集したときの応募総数は相当な数になるので、全ての応募に対応していたらキリがないということ。
・学歴が高ければ仕事が出来るであろうという希望的観測。
実際に大卒者であればある程度の学力を持ち合わせていることになるので、学力の高さが仕事に直結することを企業側が期待してもおかしくないです。
上記の理由から採用基準に学歴を設けるのは企業側にとって非常に効率が良いのです。
それに応じて学生たちも高い学歴を目指すため、学歴社会が完成するという訳です。
学歴は大企業に入るためのパスポートなのです。
その企業が望む学歴がなければ、応募することすら出来ないのです。
しかし近年では大企業であっても間口を広げ、高卒者でも応募できるような動きが見受けられます。
色々な考え方があるとは思いますが、そもそも大卒者でなくとも優秀な人材はたくさんおります。
面接官が学歴よりも重要なものをその人の中に見出すことが出来れば、当然に採用されるでしょう。
面接官が見出すことが出来れば・・・。
ここが1番重要な問題なのかもしれません。
人を見るのはやはり人です。
短い面接時間の中でその人の人間性を全て理解するのは難しいでしょう。
結局は人間性を理解しようとせず、学歴で判断することも少なくないでしょう。
それでも学歴のせいで面接にすら進めなかった時代よりはいくらかマシになることを期待しております。
学歴をコンプレックスに感じる必要がない理由①
中身の詰まった学歴を持っているのは極めて少数
前述のとおり多くの企業は学歴が仕事に直結すると考えております。
企業側だけでなく学生側も同様の考え方かもしれません。
しかし、実は学歴の中身がスカスカであることに企業側も学生側も気づいていないことが多いようです。
もちろん中身の詰まった学歴を持つ人もおりますが、多くの人は空の宝箱を持って大金持ちだと見せかけているような状態なのです。
○○有名大学を卒業しましたという学歴だけで、その人が企業にとって価値のある存在だと決め付けるのは早計です。
大学で学ぶことの中で、実際の仕事に役立つことっていくつあるのでしょうか?
答えは「ほとんどありません」です。
大学で教えてくれるのは勉強であって、働くことではありません。
法学部に入ってそのまま弁護士になる。
医学部に入ってそのまま医者になる。
専門分野に特化しそれをそのまま仕事にする。
こういったパターンであれば仕事に繋がる実践的なことも学べるのでしょうが、多くの人は学部とは関係のない職種につくのではないでしょうか?
就職後に一から学ぶのであれば学歴はまったく関係ありませんよね。
仕事に直結しない中身のない学歴であっても、○○有名大学を卒業したというだけで誇ってよいものなのでしょうか?
裏を返せば、学歴が低くても仕事に直結する中身があれば、高学歴よりも遥かに価値があるといえます。
同じ分野の職種につく人の学歴が気になるかもしれませんが、重要なのは自分がその人たちよりもその職種において専門的であるということです。
自分よりも専門的な知識が少ない人に対してコンプレックスを感じますか?
専門的であればあるほど学歴コンプレックスなど吹き飛んでいくでしょう。
学歴をコンプレックスに感じる必要がない理由②
ほぼ全ての人間に自分より上の学歴の人間がいる
優越感を感じる人も劣等感を感じる人も感情のベクトルはまったく同じです。
見上げる人がいるから見下ろす人がいるのです。
これって意味のあることなのでしょうか?
人間の中で頂点と底辺を決めた場合、当然どちらも一人ずつしか存在しません。
頂点の人は見下ろすことしかできません。
底辺の人は見上げることしかできません。
私はこの二人のみが優越感と劣等感を感じる権利があると思っております。
その間に位置する人たちは見上げることも見下ろすこともできます。
学歴に置き換えてみましょう。
「日本の○○有名大学を卒業しました。だから私は優秀です。」
こんなことを言っている方がいるとします。
ではその○○有名大学で何番目の成績だったのでしょうか?
さらにいえば○○有名大学は世界基準で考えるとどの程度に位置するのでしょうか?
2016年度の世界大学ランキングでは東京大学ですら第34位でした。
だからといって○○有名大学が恥ずべき大学だとも思いません。
本人の言っているとおり良い大学なのだと思います。
私が申し上げたいのは頂点と底辺に位置する人を差し置いて優越感や劣等感を感じる必要性がないということです。
99.99999・・・・%の人には自分より上の学歴の人がいて同時に下の学歴の人がいるのです。
ほぼ全ての方に自分より上の学歴の人間がいるわけですから、学歴が低かったとしても引け目を感じる必要性がないのです。
学歴をコンプレックスに感じる必要がない理由③
出自が大きく起因する学歴の価値は?
出自も学歴とは密接な関係があります。
それは高所得者の家庭の子供の方が、学歴が高い傾向にあるということです。
これに関しては、東大生の親の半数以上が高所得者であるというデータもあるほどです。
これは高所得者は教育に対する意識が高いこと、そして高度な教育を子供に受けさせることができる財力があるということでしょうか。
ある程度の環境を用意することができれば、子供も学歴を得やすいということだと思います。
そうなってくると親の責任は非常に重たいですね。
しかし裏を返せば、出自に起因する部分が多い学歴というものの価値はどれほどのものなのでしょうか?
勉強したくても学費がないので高校や大学に行けない。
家庭の事情で仕方なく進学を諦める人って結構多いですよね。
ただ自堕落で進学しなかった人は別にしても、こうした理由で進学できなかった人が引け目を感じる必要はまったくないのです。
義務教育は中学校までですが、大学に行きたい人を大学に行かせるのは親の義務だと私は思います。
やむを得ない家庭の事情で進学できないことは、当人が恥ずべきことではないのです。
学歴をコンプレックスに感じる必要がない理由④
学歴よりも資格取得者の方が有利
①で申し上げたとおり、専門性は学歴に勝るのです。
私は高学歴よりも専門的な資格取得者の方が社会的に有利だと感じております。
学歴をコンプレックスに感じる方は資格を取得することにより、コンプレックスを払拭しましょう。
昔から手に職をつけるといいますが、そういった職業は食いっぱぐれが少ないのです。
例えば美容師さんですが、一つの美容院が自分と相性が悪くてもすぐにまた別の美容室に移ることができます。
仕事内容もそれほど変わらず、己の腕を磨き続ければ良いのです。
当然、独立することも考えられます。
専門性が高ければ高いほど、世の中に需要はいくらでもあるのです。
一方で高学歴とはいえ、何ら特殊な技術がない人たちはつぶしが効きづらいのです。
高学歴だからという理由で、転々と職を変えることはできません。
特殊な技術や能力が備わっていなければ、職を変えたらまたゼロからのスタートになってしまうからです。
また、そういった技術なくして独立することもできません。
世の中が求めているのは高学歴ではなく、技術や能力のある人材です。
そんな世の中であなたはまだ高学歴にこだわりますか?
学歴をコンプレックスに感じる必要がない理由⑤
才能よりも努力の度合いに目を向けよう
才能とはなんでしょうか?
持って生まれたもののことでしょう。
では努力とはなんでしょうか?
それは生まれてから得るものです。
仮に○○有名大学に合格するのに才能と努力の値を合わせて10単位必要だとします。
A君は才能で7単位、努力で3単位取得し○○有名大学に合格しました。
B君は才能で3単位、努力で5単位取得し○○有名大学に落ちてしまいました。
A君は努力の度合いは少ないのに才能に溢れているため○○有名大学に合格しました。
一方でB君は才能の値は低いのですが、努力の度合いが多いため9単位取得しました。
しかし、○○有名大学合格には10単位が必要なため惜しくも不合格となりました。
このとき本当に価値のある人材はどちらなのでしょうか?
才能を度外視して考えた場合、B君の努力の度合いにこそ価値があり、たとえA君が高学歴になろうともその価値はとても低いと言えるのではないでしょうか?
自分が努力してきたことにこそ価値があるのです。
A君とB君の差はたったの1単位です。
その1単位で学歴に差はついてしまいます。
しかし自分を卑下する必要は全くないのです。
むしろB君の努力の度合いが高いことにこそ注目し、社会で活躍させるべきなのです。
日本に限らず、メディアは才能のある人に注目しすぎな感があります。
特にスポーツは目に見える才能なため、注目されやすいです。
トップアスリートの異次元的な動きに素人目で見ても凄さを感じてしまうからです。
しかし、必ずしも努力が実るとは限りません。
努力の度合いは桁外れでも、活躍できていない選手がたくさんいると思います。
なぜその努力を社会的に認知してあげないのか甚だ疑問です。
こういった背景が努力そのものの価値を貶めているのです。
努力することに価値がなければ、才能のあるものだけが得をする世界になってしまいます。
そんな世界にどれほどの価値があるのでしょうか?
答えは「全く無いです」。
難しいことだ思いますが、努力の度合いを計るようなシステムを社会は取り入れていくべきなのです。
学歴はあくまで努力の結果としてついてくるもの。
努力より前に学歴があるなんてことはあってはならないのです。
学歴よりもまずは、他人に誇れるほどの努力をしているかが最も重要なことです。
学歴ではなく努力を誇りましょう。
学歴をコンプレックスに感じる必要がない理由⑥
毎日使用するものではないから気にしない
学歴ってどんな時に一番必要になりますか?
おそらく仕事を探す時ですよね?
というよりはほぼそこでしか使われないですよね?
学歴が毎日のように使用するものであればコンプレックスに感じるのも分かりますが、ほとんど使う機会のない学歴にコンプレックスを感じてしまうのはあまり良い考え方とは思えません。
仮に1年に1回学歴のことで恥をかいているとしても、1年に1回ぐらいであればほとんどの人が何かしらのことで恥をかいてます。
完璧な人間などいないのです。
自分だけが恥をかいているわけじゃないと知ったら、少し楽になりませんか?
1年に1回ぐらい我慢できる精神力を持つことも大事です。
嫌なことは誰にでも訪れるのです。
その都度爆発しないように、今から備えておきましょう。
地震だって台風だって適切に備えていれば大事にはいたらないのです。
問題なのはそういった災害に備えていないことです。
よく考えてみてください。
心が傷つくときって不意に何かを言われた時ですよね?
前もって言われることが分かっていることって、むしろ笑えませんか?
お笑い芸人のお決まりのフレーズのような感じで楽しむことすらできます。
「この人また学歴のこといってきたよ笑」
これぐらいのテンションで
受け流せば良いのです。
不思議なことに苦労して得たであろう高学歴を自慢すればするほど、人からの信頼を失っていく世の中です。
人のコンプレックスにつけこむ人間は自然と追いやられ、目の前から去っていくのです。
いずれは去っていく人間の言うことを、真に受ける必要性はまったくないです。
気にする必要がないことで傷つくのはもうやめにしましょう。
学歴をコンプレックスに感じる必要がない理由⑦
社会においては学歴は意味をもたない
ここまで私は専門的な技術や能力を持つことに意味があると訴えてきました。
その本質は社会において学歴を使用するタイミングがないからなのです。
学歴は自分の仕事になんのメリットももたらしません。
本来、学歴は誇示できるものではないのです。
学歴はあくまで社会に出るために使用するパスポートです。
にも関わらず学歴を誇示する方が多いのは、学歴というものの認識が間違っているからでしょう。
高学歴は水戸黄門の印籠ではありません。
パスポートなので身分証明書に近いです。
今の時代なら「個人情報なので」と出し渋ってもよいものです。
大学を卒業したぐらいで、人生の勝ち組を名乗るのは時期尚早です。
あと何十年生きると思っているのでしょうか?
大学までは出自も大きく関わる訳ですから、社会に出てから真剣勝負しましょうよ。
そして1度社会に出たら学歴がなんの意味も持たないことに気づくでしょう。
なぜならそこがスタートラインだからです。
パソコンを使う習慣こそ現代人であればあるかもしれませんが、電話対応やコピー機の使い方、上司や部下そしてお客様への対応。
その全てに学歴は恩恵をもたらさないのです。
高学歴にメリットがないということは、同時に学歴のないことがデメリットにはならないということです。
学歴がなくても社会に出てからの「よーいドン」で高学歴に勝てば良いのです。
学歴をコンプレックスに感じる必要がない理由⑧
人生の幸福度は圧倒的に学歴がない人の方が高い
学歴を追い求める人って学歴がない人よりも多くのコンプレックスを抱えている傾向にあります。
コンプレックスがあるからこそ頑張って高学歴を目指すのだと思いますが、そういう人は常に上を見すぎてしまいます。
世の中上には上がいるわけで、一体どこまで行けば満足できるのでしょうか?
向上心といえば聞こえは良いですが、満足できないということは一向に幸せになれないということです。
人間どこかで満足することが必要なのです。
例えば、高学歴であれば年収も人と競いたくなるでしょう。
600万円あれば満足ですか?
1,000万円ですか?
それともそれ以上でしょうか?
いくら稼げば幸せを感じられるのでしょうか?
そういう人に限っていつまでも心が満たされることはないのです。
人生の長さはみな平等です。
多くの時間幸せを感じられる方が良いに決まってます。
一方で、学歴が低くても幸せを多く感じる人たちはたくさんいます。
そもそも給与を貰えるということだけで喜びや幸せを感じる人もいるでしょう。
仮に年収が少なくても、その中でやりくりする楽しさを見出す人もいるでしょう。
良い意味で幸せを感じる基準が低いのです。
高学歴を追い求めるようなタイプは良い車に乗って良い時計をしないと気がすまないのでしょうが、学歴を求めないようなタイプは軽自動車だろうが1,000円の時計だろうが構わないのです。
そのため、簡単に幸せを手に入れることが出来るのです。
これが一番大きな要素です。
良い車や良い時計を欲す方は、結局どちらも手にすることができず、人生に絶望する可能性もあります。
どこかでラインを引いて順風満帆な良い人生だと満足することができなければ、一生幸せにはなれないのです。
幸せになる1番の近道は多くを望まないことなのかもしれません。
まとめ
長くなってしまったので要点をまとめます。
①中身の詰まった学歴を持っているのは極めて少数で、ほとんどの人の学歴の中身はスカスカで意味のないものである
②ほぼ全ての人間に自分より上の学歴の人間がいるので、学歴によって人を見下すことは意味がないことである
③出自が大きく起因する学歴の価値はそんなに高くない
④学歴よりも資格取得者の方が有利である
⑤才能よりも努力の度合いに目を向けよう
⑥毎日使用するものではないから気にしない
⑦社会においては学歴は意味をもたない
⑧人生の幸福度は圧倒的に学歴がない人の方が高い
以上の8つ理由により学歴によるコンプレックスが払拭されることを心から望みます。